nounaiseiridesuのブログ

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人間の顔

女優になりうる条件の顔はなんだろうと考えていた。

日々メディアで見かける女優は皆確かに美人なのだが、パッと華やかな顔立ちの人ばかりかと言うとそうでもない。ちょっと見ただけでは地味な印象に捉えられる人も少なからずいる。女優は、誰でも一度は髪をすべてまとめ、自分の顔のすべてをさらけ出した状態でメディアに露出する。私の経験則ではそうだ。若手女優ってだいたい髪全部まとめてるような気がする。そのような無防備な状態でもビジュアル的に耐えうることができる、歪みや曇りのない(あってもそれが美しくまとまって見える)顔がふさわしいのだろう。女優の顔は商品だ。ドラマや、企業や商品のイメージをアップさせる広告にも使用される。いかに見るものに不快感を与えないか、また、心地よくさせられるかが大事なところだ。

私は女優のような綺麗な顔も好きだが、だからといって「一般の市井の人々」の、曇りや歪みがある顔が嫌いというわけではない。むしろ好きな方だ。顔には個人個人の生活や思考、受け継いできたDNAの歴史がある。ギリギリまで似た顔があっても、全く持って同じ顔はこの世界のどこにも存在しない。そこにはブスも美しいもない。そういう問題ではない。それが人間の顔の面白いところだなあと思う。

アニメや漫画のキャラの大抵は、人間の顔それぞれが持っている歪みや曇りを削ぎ落としてしまっているのがなんとも虚しいと最近思い始めた。さっきの女優の顔で言う、見るものに不快感を与える部分である。キャラの顔を区別するには、目ならぱっちり大きいか、ツリ目か、タレ目か、三白眼か。鼻と眉はほぼ変わらない。口は大きく開いてるか真一文字にムッと閉じているか妖艶に笑っているか、プラスで八重歯、そのぐらいだろうか。輪郭は皆綺麗なシュッとした逆三角。正直言って、二次元キャラのビジュアルの描きわけは要素が少なすぎて、限界がきているように思える。パーツの受け皿が少なすぎる。あとはキャラクターごとの性格や個性、髪型や髪色に頼るしかない。

作品によっては歪みや曇りの要素を入れているものも確かにあるが、美男美女がでずっぱる乙女ゲーム萌えアニメなど周辺の部類は、キャラクターのビジュアルが見るに耐えないものだと食いつくものもいない。二次元のファンタジーな世界観に突然現実世界の汚物が入ってきては興ざめだ。だから仕方のないこと、そもそもそうする必要性がないというのは重々承知だ。

私はこう思うようになってから、外に出た時に人の顔をよく見るようになった。一見おじさんはおじさん、女子高生は女子高生で同じような見た目ばっかりなのだが、観察してみると微妙に違いがあるのだ。例えば電車の中、優先席の右端に座ってる50代ぐらいのサラリーマン。目は一重。上下の位置がわずかにずれている。右目が数ミリぐらい上にある。ドアを挟んで隣のロングシートの脇に立っている同年代ぐらいのお兄さん。この人は口のつき方が面白い。なんとこの人は、正面から見て唇を左に斜め30度ぐらいに傾けて貼りつけたようなつき方なのだ。漫画の中じゃ、口はぴったり水平を保っているのに。さらに私の隣で疲れて眠っているおばさん。この人は鼻筋の真ん中の骨がコリっと突き出ている。面白い。鼻なんてせいぜい団子鼻とか鷲鼻とか鼻先の形ぐらいにしか差異がないと思っていたのに、鼻筋にもこんなに個性があるんだ。世の中にはこんな顔もあるのだなあと観察を進めるごとに面白くなっていく。自分の予想もしなかった顔はどんどん現れる。そこに美醜の概念はない。見たことのない個人の記憶の刻印のしかたを発見するのがとにかく楽しいのだ。